店長アリ プロフィール
マンモスイスタンブル Vision |
◎トルコ遊牧民の芸術 プリミティブなキリム・絨毯 を日本中にご紹介。
キリムバイヤー プロフィール Ali Tasbasi(アリ・タシュバシュ) |
1)キリム 絨毯 バイヤーALI TASBASI(アリ・タシュバシュ)です。
2)父がひとりっ子だったので子沢山家族を目指す。のもと
イスタンブールにて9人兄弟の 7番目に生まれました。
男の子としては5番目 5男でしたが 父にうりふたつだったらしく、
父と同じ名前となりました。
時、あたかもキリムブームのまっ最中
イスタンブール グランドバザールに3軒しかキリム・絨毯のお店がないころの1軒
でございましたので。父は大忙しでした。
夏になるとベルギーやイタリヤからバイヤーが子供連れで家に来て、
1ヶ月以上滞在していました。
12歳のとき、始めて父から「自分で売買してみろ」の許可が出て
それからは成功まっしぐら、高校生のころには
ロングヘアにウエスタンブーツ のアンティークバイヤーとして
ムスタファ・◎◎◎(超有名なトルコのアンティーク商)
と共に本物とは、を追求していました。
3) 英字新聞 アートインタビュー キリム雑誌ロングインタビュー
4)父は キリムと絨毯専門の ウォッシュファクトリーを立ち上げました。
トルコ中から OLD アンティークキリムの洗濯が工場に持ち込まれますから、
誰よりも本物を見る機会と 情報に恵まれます。
アンティークディーラーとして いけいけどんどんディスコを借り切る
放蕩を繰り返していたある日、 ソヴィエト連邦が崩壊しました。
昨日まで3000ドル 10000ドルだったアンティークトルコ絨毯の
価格崩壊が始まりました。
というのも ジョージア カザフスタン トルクメニスタン ウズベキスタン
はトルコ語を話すトルコ系遊牧民がいて ソヴィエト連邦時代も
素晴らしいトルコじゅうたんを織り続けていたのです。
ロシア絨毯がどど~っとマーケットに登場する中
アンティークトルコじゅうたんのトップディーラーの立ち位置は微妙で
どんどん資産は目減りしていきます。
そうだ!マーケットが固まるまで 兵役に行こう!と決心
1年半の徴兵に入ったのですが これにより、群雄割拠の中
出物のロシア絨毯をつかんでのし上がる というチャンスを放棄したことになってしまいました。
さらに、家族で稼動させていた ウォッシュファクトリーを
何を思ったか 父が突然、 や~めた。と言い出したのです。
5) アンティークのディーラーとして メドレセで働いていたとき
イナガキとの出会いもあり、 東京恵比寿にキリム専門店をオープンしました。
開店当時 ふらっとお店に立ち寄ってくれた会社員のお客様は
キリムコレクターとなり、すでに15年以上の信頼関係を築き
彼のコレクションは イタリア人コレクターもうなります。
また、奥さまが当店のサイトでシャルキョイキリムのポーチを買ったことがきっかけで
旦那さまが、一流企業の早期退職に手を上げ、キリム屋さんを開業された
ご夫妻もいらっしゃいます。
6) 母国 トルコが経済成長著しい今
OLDキリム 絨毯はスゴイ速さで減少の一途をたどっています。
インテリアファッションの変化もすごい、
7) キリム屋さんを開業されたご夫妻と共に
デパートでの高級キリム&絨毯のご紹介する機会が増えています。
私の知識とプリミティブを重視したキリムと絨毯を
もっともっとご紹介していきたいと考えています。
8) 以上、私のプロフィールを読んでいただき、本当にありがとうございます。
キリム・絨毯事情はイスタンブールディーラーの間で日々変化しております。
トルコ情報もお伝えしていくことで、よりワクワクしていただけたら幸いです。